20220523
これは乗り越える(乗り越えた)話。
***
2022年4月、この日は大学での健康診断がある日だった。体重以外特に問題ない身体だと改めて認識させられ生みの親には感謝し、大学では学友から誕生日プレゼントと称して日本酒とシャンパンを贈ってもらえて結構嬉しかった。
とまあもはや日中は問題ではなく、帰宅後のその日の夜が問題なのであった
本題に入る前に、3年ほど付き合っていた相手の話をコンテキストが分かる程度にしておこうと思う。呼称が無いと面倒なので仮にAさんとでもしておく。
Aは大学で知り合った、現役勢の所謂同い年の先輩だった。浪人の末大学入学直後で人生初の彼女ができたものだからまぁ浮かれたものだった。
それからは何度か遊びに行くことはあったけれど、どちらもかなり忙しくしているタイプの人間だったこともあって意外と回数は多くなかった。
そんな感じでたまに一緒に遊びに行ったり、LINEでのやりとりが続いているような続いてないような中で3年目を目前に控えていたのだった。
Aは東京で普通に就職し、4月からは社会人になった。3年目のお祝いと就職祝いをしようといったやりとりをしていたのだが、徐々にレスポンスが悪くなっていた。初めは社会人やっぱ忙しいのかななどと呑気なことを考えていたものだったけれど、やはり心配というか嫌な感じはあった。
その日の夜は家族で過ごした。誕生日ということで家族にも祝ってもらえ、貰い物の日本酒をなかなか酒が好きな母と早速開けることになった。この時点で、Aからは「誕生日おめでとう」どころか数日前に送ったメッセージに既読すらついていない状態だった。
この時から何かすごく嫌な予感がしていた。心臓が変な脈動をしていた。そういう不安を振り払おうと酒を入れまくった結果、数時間後には五合分の日本酒の空き瓶の傍らで自宅の便器に顔面を突っ込んでいる哀れな一般成人男性の姿があった。こればかりは本当に反省している。一方で母はケロッとしていた。母は強し。
もうすぐ日付も変わるというタイミングでLINEを開き、安定しない視界でAとのLINEを見たが、まだ既読はついていなかった。この胸のモヤモヤは酒によるものなのかはたまた、というところでベッドに倒れ込んだ。
翌日見ると、結局Aからは日付ギリギリで「遅くなってごめんね、誕生日おめでとう」とだけメッセージが来ていた。怒りなんかよりも安堵の方が勝り、「ありがとう」などと調子よく返事をしてしまった。我ながらちょろすぎて涙が出る
その週の週末になんとか食事をセッティングし、祝いの品なんかも持って行ったものだった。会うのは4カ月ぶりだった。
他愛のない会話をしながら食事をしたが、どこかテンションが低い。嫌な想像をする。
プレゼントを渡して帰り道、どうしても気になってしまって聞いてしまった。何か思っていることがあるなら言ってほしいと。
Aにこんな風に求めたことは初めてではなかった。Aはいつもと同じように少し躊躇いながら口を開き、いろんなことを話した。二人のこれからについて、自罰的な話から別れを切り出された。それら文言のほとんどは思い出せなくなってしまったけれど、「恋愛対象として見れなくなった」「友達に戻りたい」の二言だけは呪いのようにはっきりと思いだせる。
なかなか本心を話してくれない人だなとは付き合った当初から思っていたことだった。気の使い方が下手で、すぐに襤褸が出る。俺も俺でそういう態度に敏感で、こちらが問う時は大体本当に嘘をついていたときだった。
気を使って嘘をつくくらいなら、傷付けてでも本音を話してほしかった。嘘で成り立っている関係に未来はないと思うから。それでも最後に覚えている二言だけは、本心からじゃなければよかったのに。
俺は泣いていた。アベンジャーズエンドゲームを映画館に観に行ったときの比じゃないくらいに泣いてしまった。Aは最後に「ごめんね、ありがとう。」と残して、涙でマスクがぐちゃぐちゃになった俺をタクシーに詰めて去っていった。俺は結局自宅まで辿り着けず、知らない街のネットカフェに泊まった。惨めさと情けなさで頭がおかしくなりそうだった。残った理性を振り絞って、Aにこれまでの感謝のメッセージを送り、硬いフルフラットシートで眠りに就いた。
***
「今年の4月は最悪だった」などと書いていたけれど、よくよく考えれば最悪だったのは誕生日含めた数日だけだったように思う
本当に、本当に最悪な誕生日でした。こんなにキツいイベントばっか入れてくんなよ
今のAに対する感情は?と聞かれると、実は結構回答に困る。怒りや憎しみのような気持ちはあるが、憐みや慈しみすらあるようにも思う。でもきっとこんな濁った感情は恋愛感情ではないんだろうなということはわかる
4月のスタートがまま最悪だったのはもう置いておいて、この後は忙しくはあったものの結構充実していたのでその話もしたいなあとは思っている
良いことがあった日だからこそ、嫌だったことに向き合おうと思った一日だった。