思考

焼却

20220630

乗り越えた後、今に至るまで

 

 

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人生で初めて味わうタイプの別れと対面したその後、幸か不幸かかなり出来事としては盛り沢山だった。

向こうとしては「就活が終わってから伝えたかった」と思っていたらしい。今頑張っているところに余計なことを考えさせるのは憚られたそうで、一段落したタイミングで、と。ただ私としてはこのタイミングで聞けてよかったなと、結果論ではあるけれどそう思う。

実際もしそのタイミングだったとしたら、きっと余りにも時間があるせいでずっとウジウジと考え込んでしまっていたんじゃなかろうかと、虚構の筈なのにやけにリアルな実感を伴ってそんな気がしている。

そして何より、向こうの時間を無駄に使わせずに済んだことが一番ほっとしている。寂しくないと言えば嘘になるけれど、ズルズルと引き伸ばしてしまっていたかもしれない未来よりよっぽどいい。

 

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泣きながら帰った翌日、男は死んだ心でチラシ配りをしていた。あるイベントに手伝いとして参加する予定があり、3ヶ月ほどかけて準備してきていたのだった。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったが、当日ドタキャンするわけにもいかないのでその足で向かっていったのだった。

思いのほかこれが忙しく考えなければいけないことも多かったため、イベントが終わった頃には心の澱は大変に小さくなっていた。

ちゃっかり打ち上げにも参加した後、帰り道は何も考えないようにした。小さくなったこれはそのまま潜ませ、いつか気付いた頃に自然消滅していてくれないかと願った。

 

その翌日には朝からインターン、更に翌日からはオンライン学会のアシスタントが2日間、そしてとどめには企業との面談と、単純に疲弊するには十分すぎるくらいの密度であっという間に1週間が経った。改めてカレンダーを見返すとえげつない予定の入り方をしていたが、何より恐ろしいのはこれがもっと以前から決まっていた予定であったということである。未だに過去の自分はどんな思考回路で予定を組み上げたのか問い詰めたくなる。

 

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それからの日々は繰り返しながらも慌ただしく過ぎていった。仲の良い友達には終わった話を聞いてもらい、自分のために思い切り時間とお金をかけていこうと決めた。好きな服を買い、美味しいものを食べに行った。久しぶりに100%自分のためだけに使うお金はとても気持ちが良かった。深い理由はなかったが筋トレを何となく始め、筋トレの最大の効能は筋肉が付くことではなくメンタルが安定することだと知った。

 

春学期も始まり、就活も選考が進み始め、ゴールデンウイークには意外と忘れている自分がいた。忘れていたこと自体も驚きでありながら、こんな短期間で忘れられている自分がいたことの方が驚きだった。

 

初めての内定が出た日、久々に連絡をした。就活が終わる目処が立ったこともあり、「もう気にしなくていいんだよ」と伝えたくなった。内定が出た嬉しさも相まってなのか、この時の文面は自分にしては感情的になっていて見返すのが少し気恥ずかしい。少し反省している。

 

頭を冷やし、決心をした。

どうすればこんな結末にならず、二人を二人のまま続けられたと思うかを尋ねた。正直どれだけ時間がかかっても、最悪返事が返ってこなくてもよかった。

律儀にまとめた文章で返事は届いた。感情的な部分はほとんどなく、また自身を責めるようなことが書いてあった。

自分からも嫌だった事、申し訳ないと思っていた事を包み隠さず伝えた。

 

和解できたと言えるかはわからないが、お互いに大きな傷をつけ合い、話せなかった話が最後にできたのは嬉しかった。同じ幸せに向かう日が続くことはなかったのは残念だったが、自身の幸せを謳歌してほしいと結んでメッセージを送るのを止めた。

今までありがとう。いつかまたどこかで。

 

 

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実は筋トレは今も続いていて、やや筋肉が付いた。肩の見た目が良くなった。(当社比)

それより何よりやはり筋トレはメンタルに良く効く。騙されたと思って始めたらまんまと騙されている。

意外と書きたいことはあるものの、7月は修羅の月となりそうなのでまた日が空くかもしれません。

20220523

これは乗り越える(乗り越えた)話。

 

 

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2022年4月、この日は大学での健康診断がある日だった。体重以外特に問題ない身体だと改めて認識させられ生みの親には感謝し、大学では学友から誕生日プレゼントと称して日本酒とシャンパンを贈ってもらえて結構嬉しかった。

とまあもはや日中は問題ではなく、帰宅後のその日の夜が問題なのであった

 

本題に入る前に、3年ほど付き合っていた相手の話をコンテキストが分かる程度にしておこうと思う。呼称が無いと面倒なので仮にAさんとでもしておく。

Aは大学で知り合った、現役勢の所謂同い年の先輩だった。浪人の末大学入学直後で人生初の彼女ができたものだからまぁ浮かれたものだった。

それからは何度か遊びに行くことはあったけれど、どちらもかなり忙しくしているタイプの人間だったこともあって意外と回数は多くなかった。

そんな感じでたまに一緒に遊びに行ったり、LINEでのやりとりが続いているような続いてないような中で3年目を目前に控えていたのだった。

Aは東京で普通に就職し、4月からは社会人になった。3年目のお祝いと就職祝いをしようといったやりとりをしていたのだが、徐々にレスポンスが悪くなっていた。初めは社会人やっぱ忙しいのかななどと呑気なことを考えていたものだったけれど、やはり心配というか嫌な感じはあった。

 

その日の夜は家族で過ごした。誕生日ということで家族にも祝ってもらえ、貰い物の日本酒をなかなか酒が好きな母と早速開けることになった。この時点で、Aからは「誕生日おめでとう」どころか数日前に送ったメッセージに既読すらついていない状態だった。

この時から何かすごく嫌な予感がしていた。心臓が変な脈動をしていた。そういう不安を振り払おうと酒を入れまくった結果、数時間後には五合分の日本酒の空き瓶の傍らで自宅の便器に顔面を突っ込んでいる哀れな一般成人男性の姿があった。こればかりは本当に反省している。一方で母はケロッとしていた。母は強し。

もうすぐ日付も変わるというタイミングでLINEを開き、安定しない視界でAとのLINEを見たが、まだ既読はついていなかった。この胸のモヤモヤは酒によるものなのかはたまた、というところでベッドに倒れ込んだ。

 

翌日見ると、結局Aからは日付ギリギリで「遅くなってごめんね、誕生日おめでとう」とだけメッセージが来ていた。怒りなんかよりも安堵の方が勝り、「ありがとう」などと調子よく返事をしてしまった。我ながらちょろすぎて涙が出る

 

 

その週の週末になんとか食事をセッティングし、祝いの品なんかも持って行ったものだった。会うのは4カ月ぶりだった。

他愛のない会話をしながら食事をしたが、どこかテンションが低い。嫌な想像をする。

 

プレゼントを渡して帰り道、どうしても気になってしまって聞いてしまった。何か思っていることがあるなら言ってほしいと。

Aにこんな風に求めたことは初めてではなかった。Aはいつもと同じように少し躊躇いながら口を開き、いろんなことを話した。二人のこれからについて、自罰的な話から別れを切り出された。それら文言のほとんどは思い出せなくなってしまったけれど、「恋愛対象として見れなくなった」「友達に戻りたい」の二言だけは呪いのようにはっきりと思いだせる。

 

なかなか本心を話してくれない人だなとは付き合った当初から思っていたことだった。気の使い方が下手で、すぐに襤褸が出る。俺も俺でそういう態度に敏感で、こちらが問う時は大体本当に嘘をついていたときだった。

気を使って嘘をつくくらいなら、傷付けてでも本音を話してほしかった。嘘で成り立っている関係に未来はないと思うから。それでも最後に覚えている二言だけは、本心からじゃなければよかったのに。

 

俺は泣いていた。アベンジャーズエンドゲームを映画館に観に行ったときの比じゃないくらいに泣いてしまった。Aは最後に「ごめんね、ありがとう。」と残して、涙でマスクがぐちゃぐちゃになった俺をタクシーに詰めて去っていった。俺は結局自宅まで辿り着けず、知らない街のネットカフェに泊まった。惨めさと情けなさで頭がおかしくなりそうだった。残った理性を振り絞って、Aにこれまでの感謝のメッセージを送り、硬いフルフラットシートで眠りに就いた。

 

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「今年の4月は最悪だった」などと書いていたけれど、よくよく考えれば最悪だったのは誕生日含めた数日だけだったように思う

 

本当に、本当に最悪な誕生日でした。こんなにキツいイベントばっか入れてくんなよ

今のAに対する感情は?と聞かれると、実は結構回答に困る。怒りや憎しみのような気持ちはあるが、憐みや慈しみすらあるようにも思う。でもきっとこんな濁った感情は恋愛感情ではないんだろうなということはわかる

4月のスタートがまま最悪だったのはもう置いておいて、この後は忙しくはあったものの結構充実していたのでその話もしたいなあとは思っている

 

良いことがあった日だからこそ、嫌だったことに向き合おうと思った一日だった。

20220516

私事ですが、最近筋トレを続けて1ヶ月ほど経ちました。肩が少しデカくなった気がします(これまでが小さすぎたので)

 

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久しぶりに音楽ライブに参戦してきた。ホールでのライブというのは初めてで、なかなかこれはこれで趣があるなと2階席の端の方から座って眺めていた。文化的にそういうものかは知らないが、1階席のお客さんはみんな立ち上がっていて声を出せないなりに盛り上がっていた。2階席で立ち上がる人はおらず少しの空気感の違いを感じながらも、あっという間の楽しい1時間半だった。

 

よく聴くアーティストの偏りかもしれないけれど、ライブにも行くようなバンドやアーティストの合間のMCではメンヘラに片足突っ込んだようなトークが繰り広げられることがままある気がする。具体的な話の内容はほとんど一時の熱狂と共に忘れ去ってしまったのだけど、その言葉選びの肌触りはなんとなく残っている。

 

食べ物や水のように無いと生きていけないという特定の物は割とあるけれど、いないと生きていけないという特定の人は、誰にとっても多分存在しない。親であれ友人同僚であれ恋人であれ各々勝手に役割のラベルを個々人に貼り付けて生きているわけで、「正にその人がいないと」というのはないもんなんじゃないか。

別に「だったら一人で生きていきゃええやん」という話ではなく、むしろそのラベルを付けた人たちをずっと大事にして生きていきたいわけで。偶然かもしれないけれどそういった役割になるに至った経緯も当然あるわけで、その偶然を蔑ろにしてしまいたくはないなぁと思う。たまたまでも何でも「関係があるあなた」を大事にしたいし、可能な限り先の未来までこの関係が続いていってほしいなあなんて考えている。

 

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怪文書を書けとのお達しがありましたが、いかがでしたか?

20220511

昔ながらのご友人の高い文章力が羨ましくなって、自分にも何かを書ける場所を用意したくなりました

以前からぐるぐると思考だけが進んでいく癖があったのだけれど、こういう場所に適宜吐き出していくことで頭が軽くなればいいなあなんてことを考えています

4月は酒で失敗したり実は誰にも言わず3年ほど付き合っていた彼女にフラれたりと過去最悪の1ヶ月だったのだけど、書ける程度にそのうち何か書ければなあと思っています

 

今日はここまで

なんだかんだ続きますように